2015年3月号 特集 「女性顧客の心を掴むには」

 

■ベルメゾン生活スタイル研究所とは

お客様と取引先の「中間」にいる者としてお客様の研究をするのは「使命」

―まず、ベルメゾン生活スタイル研究所について教えていただけますか?

和田 2005年がちょうど弊社の創業50周年ということで、その記念事業の一つとして2004年5月に設立されました。今年は創業60周年になりますから、ちょうど11年目に入りましたね。設立趣旨なのですが、もともと千趣会というのは働く女性、いわゆるOLさん向けのオリジナル商品というものをずっと開発してきた会社です。そのような半世紀にわたって働く女性と共に歩んできた蓄積を元にして、さらに明るく豊かで、健康的な女性の生活文化を発信していきたいという願いがまずあります。そこに加えて3つの目的が掲げられています。まず大きいのは、昨年亡くなりました行待裕弘前会長の知見を他の社員にも共有しようということでした。行待は「ベルメゾン」を始めるなど、誰よりも女性が何を考えているのかを探究してきた人間ですが、自分だけが女性のことを理解するのではなく、社員全員が女性文化について深く知るべきだと考えたのです。そして2つ目の目的としては、千趣会という会社の「使命」を果たすためです。行待が常に言っていたのは、「我々はお客様と取引先様の中間にいるわけだから、お客様を研究して知り得た情報を、取引先様に提供することによって、より良い商品やサービスを提供してもらう」ということです。それこそが我々の使命だとよく社員たちに説いていました。もちろん、女性に詳しい企業という評判が得られれば、企業としてもイメージアップになるということも考えていたのだと思います。そして最後の目的がマーケティングです。我々はオリジナル商品の開発から始まった会社ですが、当然マーケティングや調査が極めて重要だという考えがかなり当初からありました。昔は企画を担当する者はほとんど男性ばかりでしたから、ごく自然に女性の気持ちや心理を聞いてみよう、行動を調査しようということになったそうです。そのようなリサーチやモニターが当たり前というDNAがひとつの形になったのがこの研究所なのです。

千趣会の原点に立ち戻った調査「女性たちから未来が生まれる」

―女性の話を聞くことが千趣会さんの根本にあるとのことですが、それはかなり昔から行われていたのですか。

和田 そうですね。ルーツを遡ると1971年、今から44年前に「OL白書」というものがありました。これはもともと博報堂から持ち込まれた10段の新聞広告企画ですが、女性へのアンケート結果を広告に用いるというものでした。今ではよくありますが、当時は非常に斬新というか、画期的な取り組みとして大きな話題を呼びました。折しも、日本企業にも女性が進出してきて、男性管理職も「これからは女性のことを知らないと」という世論ができつつある時でしたので、非常にインパクトがあったようです。実際にこのシリーズ広告を冊子にして営業マンが会社を回る時にお配りすると、とても喜ばれたと聞いています。当時はまだ千趣会というのは女性しか知らず、男性にはほとんど無名だったのですが、これで一気に社会から認知されたということがあります。そういう意味でも、働く女性の興味や関心事を色々調査して知ろうということは千趣会の根幹を成すポリシーのようなものかもしれません。

―働く女性の声を聞くといえば、昨年12月に「しあわせ予報」の2015年版として、『「ウーマノベーション」日本を変える、5つの女子力。女性たちから未来は生まれる』という冊子を出されましたね。

和田 ええ。これはまさしく「OL白書」の系譜であり、ベルメゾン生活スタイル研究所(以下、ベル研)が設立された2004年にOLさんたちにさまざまな質問をした調査が元になっています。あれからちょうど10年経ったということで、ほとんど同じ質問をしてみて、10年前の女性と、10年経った女性の考え方がどのように変わったのか比較したレポートになっています。ご存知のように消費の8割の決定権は女性が握っており、女性の社会進出は政府の成長戦略にも含まれました。先ほども申し上げたように、千趣会の歴史は女性の社会進出の歴史ですから、「女性たちから未来が生まれる」というキャッチフレーズも原点に戻って、あらためて働く女性に焦点を当ててみました。

―ちなみに、研究所には今何人ぐらいの方がいらっしゃるのですか。

坂本 派遣の方も含め17 人です。調査というのは専門職でなければなかなかできない部分はありますが、多くはリサーチ系の採用ではなく、他部門から移ってきた者も多くいます。私も元々は創業者の高井(恒昌)の秘書から、研究所のスタートメンバーとして関わってからですから。そもそもベル研にはリサーチ系の人間はいませんでした。設立当初はまだ調査部という部署もあって、後にそちらと一緒になったのです。

和田 僕もずっと商品系に携わってきまして、カタログが絶好調の時にファッションやファッション雑貨の担当でプランナーをしていました。当時は専門カタログが我々の主流でしたので、いろいろな新規カタログの立ち上げに携わってきました。こういう流れは今も変わらず、営業からやってきて何年か修行して一人前の研究員になったという人もいますよ。

 

 

 

 

 

>>JADMA NEWS 掲載情報 目次に戻る場合はこちら

>>JADMAのホームページはこちら